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感謝はカタチにして意味を成す

 

■感謝は自ら想うこと
■それを言葉にすること
■そしてカタチにすること

人は誰かに何かをしてもらったら、自然と「ありがとう」って言葉は出るけども、
その後のお礼やお返しをするのは、実は”自らの意思”で有難いと思わないとやらないもの。

例えば、
知らずに落としたハンカチを後ろの人が拾ってくれて渡してくれたら思わず「ありがとうございます。」とは言うけど、それまで。

一方で、財布を落としてしまって、しかもそれが1日見つからずに警察にも届けて、不安と後悔の念にいた所に、次の日に届け出てくれた人が居たら、それはもうしっかり感謝するし何でもいいからお礼をしたいもの。

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「ありがとう」のその先

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「ありがとう」は誰にでも簡単に言えて(中には言わない人すらいるけど)、実はその先に大事なのはそれをキチンとカタチにしてお返しすること、したいと想うこと。

スタッフやフィリピン講師達にいつも「ありがとう」と言うだけでなく、本気で「有難い」と想っているならカタチにしなければならない。それが給料といった報酬であったり、表彰といった敬意であったりする。

給料を払うから働くのが当たり前でなく、数ある会社の中で自分たちの会社を選んでくれて、さらに今なお一緒に働いてくれていること自体が決して当たり前な事ではなく、感謝すべき事だから給料と言う対価でお礼をしている。

この想いでいるから、いつも給料日には「有難う」って想いながら過ごしている。
#日本は25日でフィリピンは15日と30日

給料だけでは感謝を表現しきれない時は私たちはさらにカタチにするようにしている。

フィリピンでは年1回の賞与が当たり前だったりしたが、それを年2回にしてみる。前線に立つ優秀なフィリピン講師にももちろん日々感謝の気持ちを持ち、普段オモテに出ない清掃スタッフや調理人達も感謝の気持ちをカタチにしたいから、表彰してお礼を渡す。

これは逆の立場でも同じことが言える。

給料をもらってるから働いている。働いた分だけ給料もらってる。ではなく、給料をもらえる事自体が有り難いと思えば、もっと最高のパフォーマンスや仕事をするもの。

フィリピンの子達のあの底抜けの明るさや仕事のパフォーマンスはそこから来ているもので、私たち日本人が忘れかけているものかもしれない。そんなパフォーマンスを見せてくれるから、また私たちの感謝が給料として返されていく。

給料がどんどん上がり、出世していく人はこの”感謝の循環”に他ならない。どちらかが欠如してたらそれは成り得ないもの。

私たちは引き続き、感謝をカタチにしてこれからも最高の仲間と働いていきたい。

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